【竜馬をゆく】長崎街道 小倉城下の閻魔堂から常盤橋まで

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小倉城下の門司口橋(長崎街道)の画像前回は、手向山から小倉城下の閻魔堂までを歩きました。

今回は閻魔堂を後にして常盤橋を目指します。

 画像は、今回通ることになる門司口橋。

今回の見どころ・・・岩松助左衛門宅跡、貴布禰神社、門司口橋、コレット、小倉中央商店街、常盤橋


【竜馬をゆく】
長崎街道 小倉城下の閻魔堂から常盤橋まで
(門司往還)

まずは、閻魔堂から長崎街道を西に進みます。

閻魔堂のすぐ先の左側に岩松助左衛門宅跡の石碑があるので忘れずに見ておきましょう(※岩崎助左衛門については後述の「街道ぷっ知識」を参照ください)。 岩松助左衛門生家宅趾の石碑の画像

岩松助左衛門宅趾を後にし、長崎街道を西進します。 小倉城下の閻魔堂から貴布禰神社へ向かう途中の長崎街道の画像

閻魔堂から150mほど西に歩くと右手に貴布禰神社(貴船神社・きふねじんじゃ)がありました。 小倉城下の長崎街道沿いにある貴布禰神社(貴船神社)の画像

貴布禰神社を過ぎると、すぐにJRの高架下をくぐります。 小倉城下の長崎街道沿いにある貴布禰神社(貴船神社)そばにあるJR高架の画像

高架下を進むと橋が見えてきます。この橋が門司口橋。 小倉城下の門司口橋(長崎街道)の画像

門司口橋は昔からこの位置にあり、小倉と大里宿を結ぶ重要な街道であったことから昼夜を問わず開門され、常時数名の藩士がこの橋の番所に詰めていたそうです。

当時の地図はこんな感じ。 小倉城下の門司口橋周辺の古地図の画像

橋を渡った右側はすぐ海になっていたようです。

昔の石垣の境界がないかなと思って目を凝らしてみましたが、境目が判然としませんでした。積み替えたのでしょうかね。 小倉城下の門司口橋を渡ったところの石垣の画像

門司口橋を渡ったらすぐに左折して踏切を渡りましょう(※ちなみに、本来の長崎街道は線路の真ん中あたりから斜め右側に延びているのですが、現在は線路になっていて通れません。ここからしばらくの間、長崎街道から外れることになります)。 長崎街道小倉城下の門司口橋を渡って左折したところの踏切付近の画像

踏切を渡ったらその先の交差点をすぐに右折。 長崎街道小倉城下の門司口橋を渡って左折し踏切を渡った先にある交差点の画像

右折したら今度はその先のバイク屋とコインパーキングの手前から左の路地に入ります。 長崎街道小倉城下の門司口橋を渡って左折し踏切を渡った先の交差点を右折した先のコインパーキング前の路地入口の画像

路地に入ったら、またすぐ先のT字路を今度は右折します。 長崎街道小倉城下の門司口橋を渡って左折し踏切を渡った先の交差点を右折した先のコインパーキング前の路地入口を入って長崎街道に入る個所の画像

これで長崎街道に復帰しました。あとはそのまま直進です。 小倉駅前のコレット東側の長崎街道の画像

そこから300mほど直進するとコレット(井筒屋)にぶつかります。 小倉駅前のコレット東側入口の画像

長崎街道はコレットの1階を通っている(というか長崎街道の真上にコレットが建っている)のでコレットのフロアに入り、1階部分を突き抜けましょう。 小倉駅前のコレット東側入口のドアの画像

ここ、長崎街道です。 コレット1階を通る長崎街道の画像

西側出口手前の階段下にトイレがあったのでお借りしました。

コレットの外に出たら目の前の横断歩道を渡り平和通りを横断します。ちなみにすぐ右側はJR小倉駅。 コレット1階西口前の横断歩道の画像

横断歩道を渡り終えたら、すぐ前の小倉中央商店街に入りましょう。

この商店街が長崎街道となっていますので、あとは商店街を突き抜けるだけです。 小倉中央商店街(長崎街道)の画像

商店街の出口を出ると・・・ 小倉中央商店街(長崎街道)常盤橋側出口の画像

すぐ目の前が長崎街道の起点、常盤橋です。 小倉中央商店街出口付近から見る常盤橋の画像

今回の長崎街道ウォーキングはここまで。

 続きはこちら≫  【竜馬をゆく】長崎街道 常盤橋から到津口門跡まで
 前回の記事はこちら≫  【竜馬をゆく】長崎街道 手向山から小倉城下の閻魔堂まで
 目次はこちら≫  【竜馬をゆく】~ 長崎街道を歩く ~ (目次)


街道まっぷ
今回歩いた道順はこんな感じです。
※グーグルマップの都合上、コレットの前後で2つに分けて表示しています。

閻魔堂からコレット東口までの道順

コレット西口から常盤橋までの道順

 コレットでのトイレ休憩をはさみ、所要時間は1時間20分程度でした。


街道ぷっ知識
岩松助左衛門ってどんな人?
岩松助左衛門は小倉藩の庄屋に生を受けました。
現在でもそうですが、関門海峡は船の難所として知られます。
難破する船が後を絶たないことから小倉藩は助左衛門に難破船を救助する役を命じました。
藩から難破船の救助役に任ぜられた助左衛門は灯台の必要性を説く嘆願書を藩に提出し、募金活動を行って白州灯台建設に後の生涯を捧げました。
※詳細はこちらのサイトをご覧ください。
岩松助左衛門 – 北九州市
白州灯台 – Wikipedia


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