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雉も鳴かずば撃たれまい【登山口ねっと!日本昔話】第弐話 


え? ああ…あれでございますか……

二つある塚の小さい方は父が拾って可愛がっていた犬のシロの塚でございます。

父が亡くなってから、ぱったりと餌を食べなくなりましてね。

形ばかりの葬儀が終わると、毎朝のように父を供養する塚の前でうずくまるようになり、父の後を追うように死んでしまいました…

 

 

…あれは寛文の十年、徳川様の平和な世にようやく慣れた頃にございました。

領主の丹後守松浦信貞様より御指図が下りまして、海辺の潟を埋め立てて新しい田畑を造ることになったのでございます。

近隣の村々から大勢の人足が集められましてね

静かだった漁師まちが、季節外れのお祭りでも始まったのかと見まがうばかりに大そう賑やかになったのを覚えております。

潟の埋め立ては、皆が思っていた以上に難しいものでございました。

山から切り出した石や土を積み上げて固く堤を築くのですが、すぐに流されてしまいます。

前のものより一回り大きな堤を築いてみても、どういうわけか翌朝には跡形もなく浪に流されるということが何日も続いたのでございます。

お殿様より工事奉行を仰せつかった父の近松の心労は、それはそれは大そうなものがあったのでしょう。

いつもは帰ってくるなり「酒はまだか」「火鉢の炭が少ないぞ」とか、文句をつけるのが酒の肴かと思うぐらいに騒々しかったのが

堤の工事が始まってからというもの晩酌もせず、出された膳にろくすっぽ箸もつけずに床に就くという日が続くようになったのでございます。

 

そんなある日のこと、帰ってきた父の近松に「袖の裏がほつれたから横縞の布でふせておいてくれまいか」

と、なんとも神妙な面持ちで袴を渡されたのでございます。

早くに母を亡くした家でしたので、一人娘の私が裁縫を頼まれることもございました。

でも、袴の袖がほつれるなんてこと、今まで一度もなかったのです。

珍しいことと思いつつ袖を返してみましたが、ほつれなんてどこにもありません。

「お父様、ほつれなんてありゃしないじゃないですか」と袴を返すと

「そうか・・・おかしいな、まあよい、工事で袖をまくることもあるから裏に横縞の布をふせておいてくれ」というのです。

工事奉行にもかかわらず人足達と一緒に泥まみれになることもある父のこと、布ぶせも必要かしらと思いつつも、横縞の布なんて…

 

その晩は父がやけに優しかったのを覚えております。

「お前、きれいになったな」とか「この味噌汁は美味い、母さんのより美味いぞ」とか…

翌朝、背伸びして肩に袴を掛ける私を見下ろした、いつにない笑顔の父が、私が見た父の最後の姿となりました。

 

 

父の近松が亡くなったのを知ったのはその晩のことでございます。

奉行所から若い番士がまいりましてね、「自ら人身御供を申し出た」と…

初めは何かの間違いだと思いました。人身御供など、この藩では未だかつて行われたことはございませんし

仮にも父の近松は奉行という役職を持った身です。お人柱なんて…

 

でも、間違いなどではございませんでした。

何某とかいう与力の話によれば一昨日、工事の進捗を危惧したご家老様が作業場を訪れ、工事の役人一同に

「こうも堤が崩れるのは海神様が埋め立てを欲せざるからであろう、かくなるうえは村人から人身御供を捧げるほかなかろうて」

と申し付けたらしいのです。

もちろん父はお諫めしたそうです、しかし、ご家老様のお言葉に逆らえるはずはございませんからね。

その日は、肩を落として家路に帰る悲しげな父を番所まで見送ったそうにございます。

 

村人たちに人身御供の話をするのは、もちろん工事奉行である父のお役目でございました。

「人身御供を献ずることに相決まった。だれぞ名乗り出る者はおらぬか」

と問う父に、村人たちは火の粉が降りかからぬようにとうつむいたまま。

しばらくのち、父はこう申したそうにございます。

「誰も名乗り出ぬならいたしかたない、この中で袴の裏に横ぶせを当てている者がおればその者を人身御供と定めることにいたす」 と…

 

父は一人また一人と皆の袴を調べあげ、誰も横ぶせを当てた者がいないことを確かめると

「ふむ、誰もおらぬな、では最後にわしのを調べてもらおうか」と言いながら

はらりと脱いで村の世話役に渡したそうにございます…

 

「雉も鳴かずば射たれまじきに」とはどなたが詠った歌でありましょうか…

鳴けば射たれると分かっていても、自ら鳴かずにはいられない雉もいたのでしょうね。

 

だって、工事奉行にもかかわらず人足達と一緒に泥まみれになることもある父のことですから……


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雉も鳴かずば撃たれまい

~ 近松の人柱観音供養塔と白犬之塚 ~

人形石山や国見岳登山の最寄駅となる松浦鉄道の今福駅。

近松を供養する人柱観音堂の人柱観音供養塔と白犬之塚は、その今福駅からほど近い登山口に向かう道中でひっそりと時を刻んでいます。

松浦市の有形民俗文化財にも指定される人柱観音供養塔は、中台・竿からなる希少な佐賀型の六地蔵石憧としても知られているそう。

 

なお、人柱観音堂前の石碑には近松自らが人身御供を提案したと記されていますが、家老の提案に近松が異を唱えたという解釈の方が物語として厚みが出ると思いましたので、前述のようなストーリーにしております。

 

なので、上記の話はあくまでもフィクション(小説)であり実在の人物や伝承とは何ら関係ございませんのであしからず・・・

ちなみに白犬之塚と人柱観音堂の場所はここ→https://goo.gl/maps/svgzY

なお、人形石山や国見岳の登山口にアクセスする方法についてはこちらのページを参考にしてください。
人形石山・国見岳の登山口へのアクセス(今福駅から歩く)

※このページは登山口ねっと!のfacebookページに掲載した記事を一部加筆修正したものです。