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子持神社”幻の伝統神事”「御籠り」に飛入り参加してみた

群馬県の渋川市郊外にそびえる独立峰、子持山(1296.4m)。

屏風岩や獅子岩など溶岩流で形成された岸壁がクライマーにも人気となっている上州の秀峰として有名ですが、そんな子持山の登山口に向かう途中に佇むのが”子授け”や”安産”の神様として知られる子持神社です。

子持神社の本殿(群馬県渋川市)

(子持神社(里宮)の本殿)

子持神社は、子持山の登山口に向かう途中の集落最奥部に”里宮”が設けてあり、子持山登山口手前の7号橋のすぐ上にも”奥の院(奥宮)”が祀られています。

本殿のある”里宮”は、毎年5月1日に催される例大祭が有名で、例大祭当日は天狗の面を着けた猿田彦が刀で厄払いする山開きの神事(※5月1日が子持山の山開き)や、太々神楽の奉納、餅投げなど中世から連綿と受け継がれる伝統行事を一目見ようと県内外から多くの観光客が訪れることは広く知られているようです。

(※詳しく知りたい人は「子持神社 例大祭」でググって下さい)

しかし、江戸の昔から続いているらしい(※地元の人談)この例大祭ですが、実はその例大祭が行われる前日からその神事が開始されていることはあまり知られていません。

例大祭が行われるのは5月1日ですが、その前日の4月30日の夜から例大祭当日の5月1日早朝までの間、子持神社の”奥の院”では「御籠り(おこもり)」と呼ばれる”幻の神事”が人目を避けるかのように密かに行われていたのです!!

今回、登山口ねっと!取材班(といっても僕一人)は、この”幻の神事”と噂される(と僕が勝手に妄想している)「御籠り」の撮影に世界で(たぶん)初めて成功することができましたので、ここでレポートすることにいたします。

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「御籠り」とは?

幻の神事をレポートする前に、そもそも「御籠り」とは何なのか?という点を説明しておきましょう。

「御籠り(おこもり)」とは、”祈願のため社寺にこもること”を言うらしく(引用⇒御籠り・御篭り・御籠もり(おこもり)とは – コトバンク)、単に寺や神社に一定期間籠ることも「御籠り」や「参篭」と言ったりするそうです。

子持神社の「御籠り」も、例大祭の前夜に一晩だけ奥の院(奥宮)に参篭することから御籠りと呼ばれていますが、その目的は”祈願”を行うためではなく、神様の”留守番”をするところにあります。

例大祭の前夜、”奥の院(奥宮)”に祀られている神様(ちなみに毘沙門天)が、翌日の例大祭に備えて麓の”里宮”に下りてしまうそうで、その神様がいない間、魂の抜けたご神体(毘沙門天の木像)を奥の院(奥宮)で守るために地域の村人が奥の院(奥宮)の岩窟で寝ずに番をするのが「御籠り」の由来だそうです(※地元の人に説明を受けたのですが酔っ払っていたのでうろ覚えです。間違っているかもしれません。)。

翌朝(5月1日の朝)になると神様の抜けたご神体(毘沙門天の木像)はヒノキの箱に納められて麓の里宮まで降ろされることになるため、それまでの時間奥の院(奥宮)でご神体をお守りしておこうというわけです。

まぁ、簡単に言うと「毎年4月30日の夜に奥の院(奥宮)の岩窟で一晩中寝ずに起きておく」ことが子持神社の「御籠り」ということで間違いないと思います。

「御籠り」に参加することになった経緯

まず、そもそもなぜよそ者の私(登山口ねっと!の管理人)が「御籠り」に潜入することができたかというところを説明しておかなければなりません。

たまたま私が子持山登山口の取材に行ったのが4月30日で、その日の予定が押してしまったため夕方に登山口前に着いて薄暗い中で写真を撮っていたところ、全身神主さんスタイルの神主さんが奥の院(奥宮)の方に上って行くところに遭遇したことが「御籠り」に参加することになったきっかけでした。

神主さんに

「今から何かなされるんですか?」

と尋ねたところ

「明日、里宮で例大祭があるから奥の院に祈祷しに来たのさっ」

ということでしたので『せっかくだから見学させてもらおう』ということで神主さんの後にくっついて奥の院(奥宮)のある岩窟に上って行った、というのが事の始まりです。

神主さんの祈祷で神様は”里宮”へ

子持神社の奥の院(奥宮)は7号橋の登山者用駐車場のすぐ上にある赤い鳥居から更に50mほど上にあるのですが、もたもたしている間に神主さんは上まで登ってしまいました(烏帽子まで被ったフル装備なのに神主さんチョー早え!)。

子持神社奥の院(奥宮)の鳥居と参道

ちなみに子持神社の奥の院(奥宮)は岩窟を背に建てられています。

子持神社の奥の院(奥宮)

この日は「御籠り」の日ということでブルーシートで覆われていて興ざめしてしまいますが、ブルーシートがない状態であれば朱色の社がカッコよくインスタ映えするはずです。

神主さんを追って慌てて奥の院(奥宮)まで登ってみると、すでに祈祷が始まっていました。

お社の前では神主さんの他におっさん…もとい”おじさん”が3人、神妙なフリをしながら神主さんの祈祷を見守っているようでしたので、私もそれに倣って神妙な雰囲気を醸し出しながら黙って御祈祷を見守ることにしました。

子持神社の奥の院(奥宮)で行われる御籠り前の祈祷

(※出たがりなご本人達の希望により左2名の顔はモザイク処理していません。)

「お前誰だよ」的な視線をたまに感じますが、神主さんの祈祷の邪魔をして説明を始めるわけにもいかないので気付かない振りをしてやり過ごすしかありません。

もっとも、中学生の頃ヤンキーの視線をやり過ごすために身に着けた「私気付いてませんよ」顔には結構自信があったので3人組のチラ見ぐらい何てことはないのです。

神主さんの御祈祷が一段落すると、神主さんがおじさん3人組に榊を渡し、おじさん3人がそれぞれ榊をご神体の毘沙門天の木像にお供えして神主さんが一人ひとりにお祓いを行う神事が始まりました。

子持神社奥の院(奥宮)に祀られている毘沙門天像

(※奥の院に祀られる毘沙門天。武田(真田)に侵攻を許すまで上州の沼田周辺は上杉領であったことから毘沙門天信仰が根付いているようです。)

よそ者が邪魔してはいけないぐらいの一般常識は私もかろうじて持ち合わせているので、私も神妙な雰囲気を醸し出しながら黙って見ていたのですが、何を血迷ったのか神主さんが

「じゃぁ、せっかくなのであなたも…」

と言い出したので

《え~? チョーラッキーじゃん! 俺もやらしてもらえんの!?》

と歓喜したものの

《いやまてよ、ここで二つ返事でお祓いしてもらったら「なんて厚かましい奴だ」とか思われそうで嫌だな》

と思い返して

「いえ、私はよそ者ですので、そんなことまでしていただくのは…」

と、一応辞退する振りをしてみたら、おじさん3人組が

「せっかくなので、どーぞどーぞ」

と期待どおり勧めてくれたので

「はぁ~そうですか、じゃあすみません、お言葉に甘えて…」

と、四人の気が変わらないうちに速攻承諾して榊をもらってお祓いしてもらいました。

  • ちなみに、最初の神主さんの祈祷は神様をご神体(毘沙門天の木像)から呼び出して里宮の方に送り出すものらしく、おじさん3人組に対するお祓いは翌日の例大祭に神官として参加するおじさん3人組の身を清めるためのものだそうです。
  • 本来、御籠りに参加する人は冷水に浸からせたりして清めなければならないそうですが、現在は簡素化されてお祓いだけになっているらしいっす(寒いからね)。

ひととおり神事が終わったところで、ようやくおじさん3人組の一人が尋ねてくれました。

「ところで…おたく誰なの?」

御籠り三人衆に混ぜてもらう

おじさん3人組に登山口の取材でたまたま訪れただけであること等、自分の諸事情を説明したところ、何とか不審者扱いを逃れることができました。

何者かが明らかになったよそ者対する興味は完全に失せてしまったようで、おじさん3人組と神主さんは私を放置して翌日の例大祭の段取りなどの打ち合わせを始めてしまいました。

横で盗み聞きしていると、おじさん3人組が今晩「御籠り」のためにこの奥の院の岩窟に泊まり込むらしいことが判明。

「今日、ここに泊まるんですか?」「いいっすね~」

と話を向けたところ、

「あんたはホテルとか予約してんの?」「え?してない?」「どっかの山の中か道の駅にテント張って寝る?」「それやったら一緒にここで寝たらいいんでねーの?」

と半ば強引に御籠りチームに入らされることになり、急遽私も奥の院の岩窟で一晩を過ごすことになりました。

もっとも、既に日が暮れていたのでこれから寝床を探すのも面倒だったし、その日まで3日ほど道の駅での野宿が続いていたのでいい加減違うシチュエーションで寝たいと思っていたこともありましたので、本心は”渡りに船”です(岩窟で寝るのも面白そーだし)。

ということで、おじさん3人組(※以下、便宜上「御籠り三人衆」と呼ぶことにします)に混ぜてもらうことに成功し、御籠りの夜が始まりました。

宴会が始まる

御籠り三人衆と翌日の例大祭の段取りなどを軽く打ち合わせした神主さんはそそくさと下山してしまい、残された御籠り三人衆と私の4人での御籠りが始まりました。

といっても、山の中の岩窟のこと。特段することもないのでお酒を飲んで駄弁るだけです。

「とりあえずビール」から始まり、日本酒、焼酎と続く宴会が夜更けまで続いていきます。

春先で標高も700mほどあることから夜は冷えますが、焚火の熱が岩窟に籠るのでそれほど寒さは感じません。

子持神社の奥の院(奥宮)での御籠りで行われる宴会

(※ご本人達の希望によりモザイクはかけておりません)

お酒は弱いので普段はあまり飲まないのですが、勧められたら断れないのでビールや清酒を勧められるままありがたくいただきました(タダ酒っていいね)。

一時間ほど酒を飲んでいると、沼田から御籠り三人衆のお友達が一名差し入れをもって遊びにいらっしゃいましたが、用事があるらしく30分ほどで帰って行かれました。

沼田の木彫り名人

(※ご本人の希望によりモザイクはかけておりません)

ちなみにこの方、趣味で彫刻をやっているそうで、沼田の戸神山の登山道に置かれている木の彫刻(オブジェ)はこの人が造っているそうです。

何故か始まるカラオケ大会

3時間ほど宴会が続いた後、御籠り三人衆の一人の発した「そろそろカラオケ始めようか」の一言によって、なぜか岩窟の中でカラオケ大会が始まります。

子持神社の奥の院(奥宮)で行われるカラオケ大会

「神聖な奥の院でカラオケなんてしていいのか?」と思われるかもしれませんが大丈夫。

前述したとおり、奥の院の神様は夕方の神主さんの祈祷によって里宮の方に移動されたので、現時点で奥の院はもぬけの殻になっているからです。

ちなみにこのカラオケセット、里の集落の人が不要になったものを担ぎ上げてくれたそうですが、見た通り相当の年代物らしく、音源は昭和感丸出しのカセットテープなのです(知ってる曲が全然ねーよっ!)。

子持神社の奥の院(奥宮)で行われたカラオケ大会のカラオケテープ

(曲の種類からおそらく昭和40~50年代のものと思われるカラオケのカセットテープ。機械に入れた途端テープが切れてしまうものも多く、実際に歌える曲は僅かしかないのです。)

タダ酒を食らって何も歌わないのも失礼なので、かろうじて生きていたテープの中で唯一知っていた「北酒場」をチョイスして歌わせてもらいました。

カラオケ大会終了後、深夜2時まで宴会が続く

その後カラオケのテープが切れまくり、御籠り衆の歌える曲が無くなった深夜1時ごろにカラオケ大会は終了。

途中、歌える曲の少なさにブチ切れた御籠り三人衆の1名が奥の院の裏側の岩窟の中に設けられたベッドスペースに逃亡し寝てしまったので、御籠り衆の2名と私の3人で再び宴会に戻ります。

子持神社の奥の院(奥宮)の岩窟に設けられた就寝スペース

(奥の院の社の裏側の岩窟の中に設けられた就寝スペース。敷き詰めた段ボールの上で寝袋に包まるだけですが、焚火の熱がこもるためそれほど寒さは感じません。)

御籠り参加者募集

夜が更けてくると話題もしみじみとしたテーマに。

御籠り衆の話によれば、この「御籠り」の神事も参加する人がいなくて大変らしく、地元の若い人(※田舎の”若い人”は50歳代が含まれます)に声をかけても誰も参加してくれないそうです。

40~50年ほど昔までは御籠りの日になると周辺の村々から御籠りに参加する人が続々と山に入り、奥の院のみならず子持山の山中のいたるところの岩窟に籠っていたそうで、昔は御籠りの夜に麓から見ると山全体が御籠りの灯りで赤々としていたらしいのですが、現在では一晩山の中で過ごすことに抵抗を感じる人も多く、御籠りの日が4月30日というゴールデンウィーク真っただ中であることも影響して誰も参加したがらないらしいです。

男は”女”がいるところには自然に集まってくると思うので、ネットなどで宣伝してアウトドアが好きな女の人を募集してみてはどうかと提案してみましたが、「それは考えとしては面白いけど、市役所とか子持神社側がそこまでやってくれるかな~」と気乗り薄でした。

「サイト運営しているんだったら宣伝しておいてよ」

と頼まれたので、もしこの記事を見ている人で「御籠り」を体験してみたいなという人がいたら、参加してみてはいかがでしょうか。

勿論、女性じゃなくて男性でも大歓迎らしいので、岩窟で野宿してみたいというアウトドア好きの人がいたら、来年の4月30日の夕方に子持神社の奥の院を尋ねてみてください。

たぶんこの御籠り三人衆がいると思いますので、いろいろ教えてくれると思います。

ただし、食事は出ないので、食料と水、寝袋は持参することが前提となりますのでご注意を。

ちなみにトイレは簡易トイレが設置してありますので心配ありません。

…というような会話が続き、宴会は深夜2時ごろに終了。

御籠り衆のうち誰か一人は朝まで起きていなければならないので、御籠り衆の一人を宴会場に残して岩窟の中の就寝スペースで寝ることにしました。

宴のあと(御籠り終了)

岩窟の中は寒くはないものの、下がフラットでなく段ボールで滑って寝袋がずり落ちてしまうためあまり寝付けず、5時ごろに起床。

すでに毘沙門天様は桐の箱に収められて里宮に下ろされる準備が整えられていました。

子持神社の奥の院のご神体を収めた箱

最後に発電機や照明などの後片付けと、おさい銭の回収を手伝って出発することにします。

子持神社の奥の院のおさい銭

予定が押していたので例大祭を見学することができなかったのは残念ですが、こうして幻の神事「御籠り」の夜は無事終了です。

岩窟の中でカラオケ大会が行われているという、予想を超えたまさに”幻”の神事でした。

御籠り三人衆の方々、子持神社の神主さん、沼田の木彫り名人さん、貴重な体験をありがとうございました!!

子持神社奥の院へのアクセス方法

なお、子持神社の奥の院(奥宮)までのアクセス方法はこちらのページを参考にしてください

▶ 子持山・屏風岩の登山口 子持神社と7号橋にアクセスする方法

御籠りに参加する場合の注意点

本文中にも書きましたが、御籠り三人衆からは「御籠りに参加したい人は来てもいいよ」ということでしたので、御籠りに興味がある人は参加してみてください。

但し、次の事項は守るようにしてください。

  • 御籠りはあくまでも神聖な”神事”です。奥の院では神主さんや御籠り衆の指示に従ってください。
  • 重ねて言いますが御籠りは”神事”ですので「御籠り」と称して勝手に山中に籠るようなことがないようにしてください。御籠りに参加したい場合は4月30日の当日に奥の院の御籠り衆と神主さんの双方の許可をもらうか、事前に子持神社に連絡して承諾を得るようにしてください。
  • 食料、水、寝袋は各自持参してください。(食事は出ません。水は子持山登山口横の沢で採れますが、寄生虫などの心配もあるので持参するほうが安心です)
  • 奥の院は岩窟に建てられているため奥の院のテラスの下は2mほどの崖になっています。危険度は高くありませんが、万一の事故や怪我については全て自己責任となりますので山岳保険などに加入しておくことをお勧めします。
  • 奥の院のある岩窟は5~6名ほどの就寝スペースしかありません。御籠り参加者が多数の場合は岩窟で寝ることができない場合もあります(※奥の院の岩窟で寝れない場合は7号橋の駐車場などにテントを張るか車中泊しかありません)。
  • 奥の院周辺はツキノワグマの生息地となっていますので熊鈴は必携です。ただし、御籠りの夜は発電機が一晩中動いているため熊に襲われる心配はあまりないでしょう。
  • 簡易トイレが一基設置してありますが、トイレットペーパーは各自持参するようにしてください。
  • なお、奥の院で就寝できるのは「御籠り」の神事の夜に子持神社から選ばれる「御籠り参加者」だけです。そのほかの時期は奥の院で夜を明かすことはできませんので絶対に岩窟で寝たりしないようにしてください(奥の院はキャンプ場ではありません)。
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