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九度山の真田庵に行ってみた(真田昌幸・幸村ゆかりの地)


和歌山県九度山町の紀ノ川沿いの住宅街にある真田庵。

関ヶ原の戦いで西軍に就いた真田昌幸・幸村(信繁)父子が蟄居を命じられた真田家ゆかりの史跡です。

真田庵の門(九度山)

JR九度山駅から高野山町石道や小都知ノ峯の登山口となる慈尊院に行く途中にあったので、登山口の取材のついでに立ち寄ってみました。

ちなみに、2016年の大河ドラマは真田幸村だそうです。

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真田昌幸とは?

真田昌幸は戦国最強と恐れられた武田信玄の家臣で、武田家滅亡後に北信濃の上田で独立した戦国大名です。

関ヶ原の戦いで西軍に属し、中山道を通って関ヶ原に向かう徳川秀忠の大軍(徳川の主力軍)を上田城で散々に打ち負かし足止めたことによって関ヶ原の合戦に大きな影響を与えました。

一説には、徳川の旗本を中心とした秀忠の軍が関ヶ原の合戦に間に合わなかったことにより、家康は外様の大名(福島正則など秀吉系の武将)の戦力をあてにして関ヶ原を戦わなくてはならず、その結果として徳川旗本以外の大名に関ヶ原の恩賞を与えなければならなくなったことから、全国に非徳川系の大名が乱立することになり、それが250年後の幕末まで尾を引いて結局戊辰戦争で徳川が滅ぼされたということも言えるらしいです。

なので、真田昌幸は小大名ながら日本の歴史に大きな影響を与えたともいえる、歴史的にも重要な人物なのです。

ちなみに、一般的には大坂夏の陣で徳川本陣に突撃した幸村(信繁・昌幸の二男)の方が有名ですが、徳川の大軍を2度も撃退した昌幸の方が個人的には魅力を感じます。

(ちなみに長男の信之は関ヶ原で徳川方についたため所領を安堵され、のちに松代藩に移封となって明治維新まで存続することになりました)

真田庵の見どころ

ところで、真田家の家紋と言えば六文銭です。

真田庵の六文銭を入れた瓦

六文銭の由来は諸説あるようで、冥銭信仰(三途の川の渡し賃)と言われることが多いようですが本当のところはよく知りません。

真田庵では屋根瓦以外にも、門の梁や・・・

真田庵の六文銭を入れた門の梁

 

門の扉などいたるところに六文銭が彫られてあって、真田マニアには垂涎の場所です。

真田庵の六文銭を入れた門の扉

 

真田庵の中に祀られている地主権現(毘沙門天と真田三代の御霊が合祀されたもの)の鳥居も六文銭です。

真田庵の地主権現の鳥居

 

ちなみに、真田庵の最寄駅となる南海高野線の九度山駅の公衆トイレまで六文銭になっています。

六文銭が描かれた南海高野線の九度山駅の公衆トイレ

 

真田庵にはこの地で没した昌幸の墓碑も祀られており・・・

真田庵の真田昌幸の墓碑

 

幸村(信繁)が雷を封じ込めたと伝わる井戸なんかもあったりしますので、チョットした散策には最適です。

真田庵の雷封じの井

ちなみに、資料館もあります。

 

真田庵は高野山丁石道の登山口となる慈尊院と南海高野線の九度山駅の中間にありますので、登山帰りに時間があったり、歴史に興味のある人はぜひ足を運んでみてください。

 

なお、真田庵へのアクセス方法はこちらのページを参考にしてください。

 高野山町石道の登山口 九度山の慈尊院にアクセスする方法

 


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