前回はJR小森江駅から大里宿の本陣跡(御茶屋跡)までを歩きました。
今回は大里宿の本陣跡(御茶屋跡)から門司駅裏側の赤レンガ倉庫付近まで歩いてみます。
画像は、今回の目的地となる大里宿長崎番所跡前に残る街道松。
今回の見どころ・・・猿田彦大神、一里塚、人馬継所跡、高札場跡、街道松、赤レンガ倉庫
【竜馬をゆく】
長崎街道 大里宿の本陣跡から長崎番所跡まで
(門司往還)
まず、街道を進む前にちょっと寄り道。
大里宿の本陣跡(お茶屋跡)の石碑から鳥居をくぐり、脇道に入ります。
50mほど歩くと猿田彦大神があります。
街道から少し外れるだけなのでぜひ立ち寄っておきましょう。
お参りして街道に戻りましょう。
本陣跡の石碑のすぐ先の自動販売機の横には「御在番役宅・浜郡屋跡」の石碑がありました。
その近くから左の脇道に少し入ると佛願寺があります。
ちなみにこの佛願寺も西生寺と同様、第二次長州征伐の戦闘で焼失した経緯があるそうです。
佛願寺の前にある長野九助屋敷跡の石碑。
街道に戻りましょう。
郵便局のすぐ横に重松彦之丞屋敷跡の石碑があり
その先の駐車場には井戸がありました。
坂本竜馬もこの井戸で喉を潤したのでしょうか・・・
この近くに備前屋や長崎屋跡があるはずなのですが見当たらず・・・
そのかわり、高札場跡を発見しました。
ちなみに「高札場(こうさつば)」とは法律などを新しく定めた際、民衆に周知させるためその条文や趣旨などを記した札(板)を掲げた場所のこと。
現在の官報のようなものでしょうか。
街道を進みましょう。
高札場跡の先で交差点を越え、さらに直進します。
交差点のすぐ先の左側の民家の庭先に人馬継所跡の石碑を発見。
人馬継所とは飛脚や馬、駕籠などの待機所のようなもので、人や荷物を運ぶ手続きを行う場所のこと。
人馬継所跡のすぐ先には一里塚標石跡の石碑があります。
「塚」というと処刑された人を埋葬している「首塚」を連想しがちですが、この街道沿いにある「一里塚」は距離を明示するため立てられていた標石のこと。
街道沿いの1里(約4km)ごとに設置して行程の把握を容易にしたり、駕籠や飛脚の料金の精算を明瞭にするために用いられていたようです。
一里塚跡の先に赤レンガの倉庫が見えてきました。
その赤レンガ倉庫の向かい側、狭い街道を抜けて視界が開けると立派な街道松が迎えてくれます。
街道松の正面には豊前大里宿跡の石碑があり
そのすぐ先には長崎番所跡の石碑がありました。
ちなみに、街道松や長崎番所跡の石碑のある文字赤煉瓦プレイスはJR門司駅のすぐ裏手(海側)です。
長くなったので今回はココまで。
続きはこちらの記事で≫ | 【竜馬をゆく】長崎街道 大里宿の長崎番所跡から手向山まで |
大里宿本陣跡までの記事はこちら≫ | 【竜馬をゆく】長崎街道 西生寺から大里宿の本陣跡まで |
【竜馬をゆく】目次ページはこちら≫ | 【竜馬をゆく】~ 長崎街道を歩く ~ (目次) |
街道まっぷ
今回歩いた道順はこんな感じです。
猿田彦大神や佛願寺に立ち寄っても30分程度でした。
おまけとして街道松の前に立てられていた大里宿周辺の絵地図をどうぞ。
街道ぷっ知識
猿田彦大神ってどんな神様なの?
猿田彦大神とは、古事記や日本書紀にも記載される神様のことで・・・ちょっと難しいのでこちらをどうぞ。
・猿田彦神社公式ホームページ(三重県伊勢市)
・サルタヒコ – Wikipedia
神様を導いた神様ということで、道祖神として各地の街道沿いに祀られているらしいです。
今後の長崎街道ウォークでもたびたび登場すると思います。
アクセス
大里宿へのアクセス方法
大里宿へのアクセス方法はこちらの記事を参考にしてください。
・【竜馬をゆく】長崎街道の大里宿にアクセスする方法